「ねぇ、零。君はこの世界をどう思う?」


その問いかけは、突然だった。ふわり、と連れてきた魂を門へと導く手を止め、死神は彼の問いに肩ごしに振り返った。問いかけた割には彼はこちらを見ておらず、青い光はじっと自分の足元を見つめていた。しかし問いの内容がざっくりしすぎており、彼が何を問いたいのか、その真意が掴めなかった為に死神は直ぐに視線を前へと戻した。


「…と、言うと?」
「ミャクアだけじゃない、全ての区域において…どう思う?」
「…ネク、もう少し分かりやすい問いをしてください」


真意を聞き出す為に問い返すが、彼の返答は変わらず真意が分からない。むしろ悪化したようにも思えた。だからこそ死神は直球で言い放ち、大きく口を開けている門へと連れてきた魂を送り込む。魂は少し怯えているように見え―――それもそうだろう、彼女は間違いなく"罰"を受けなくてはならない。しかし自らの"罪"を認め、彼女はするりと死神の手からすり抜けて門の中へと入り込む。混沌の世界に堕ちるように姿を見せたそれは直ぐに見えなくなり、門は侵入者を阻むという本来の役目を果たす為に直ぐにゆっくりとその口を閉ざしていく。ゴトン、と最後に少し大きな音を立てて閉ざされたのは地獄への門だ。死神としての仕事は此処まで。此処から先は今訳の分からぬ問いをしてきた彼の仕事だ。


「…言葉のままの問いだよ」


踵を返した所で、彼はゆっくりと顔を上げた。自分達の倍以上はあるこの巨大な門を、彼はいつも護っている。とはいえ、死神も場所は違うが似たようなものだ。青い光が小さく揺れ、それを隠すように彼もまた踵を返した。


「零、僕はね、この世界を見ているとすごく悲しくなるんだ」


呟きながら、歩き出す。それに続けて死神も歩き出し、しかしこの世界に二人の足音は響かない。無音の世界だからだ。その世界でお互いの声が聞こえるのは、この世界の"管理者"として認められているからだろう。


「この世界は、あまりにも"犠牲"が多すぎる」


脳裏に浮かぶのは、今日までの間で起きたいくつかの大きな出来事だ。中でも悪魔の復活を計らった彼等はきっと、今日まで悲しみや憎しみを糧に生きてきたのだろう。それは多分、酷く永い時を生きてきた二人の母のように、大切な何かを忘れてしまったのと同じだ。


「ではネク、貴方は貴方自身がその"犠牲"であると感じますか?」
「…いいや、感じないさ。僕は僕の意志で此処に居る、"犠牲"だとは思わないよ」


自分はこの世界が好きだ。そう言えるから、だからこそ彼は此処に居た。犠牲などではない、むしろ自己満足とも言えるかもしれない。ただただ、誰かを幸せにしたくて。


「私も同じですよ。私は私を"犠牲"だとは思いません」


例えそう考えるようにプログラムされているとしても、彼らはそう思うだろう。何故ならば、母は二人に惜しみない愛を与えてくれたからだ。痛い程に伝わってくる、優しくも酷く悲しみに溢れた愛を、だ。


「他の区域の者達も同じ考えでしょう。自らを"犠牲"とは感じていないと思います」
「感じてしまったら?」
「え?」


不意に、少年はまた死神に問いかけた。その問いに死神は目を丸め、視線を下ろすと同時に青い光が真っ直ぐ死神を見上げてくる。ネクロマンサーの姿ではまるで表情は見えないはずなのに、その光は酷く悲しげに見えた。


「もし…もし、そう感じてしまったら?そう思ってしまったら?…そう、考えてしまったら?」


ワンテンポ遅れて、気付く。彼は決して犠牲の"数"が多いと言った訳ではない。犠牲となった者を襲う、計り知れない深く重い宿命の"量"が多いと言ったのだ。


「たった一人がそう感じてしまった途端、"世界"はあんなにも簡単に崩壊し始めてしまう」


怒りか悲しみか分からない、少し低めの声だった。たった一人の細い肩に、世界の全てが掛かっている。少しでも揺れれば世界の秩序は乱れ、人の心は崩れ、バランスは崩壊し―――ミャクアは、実際に一度死にかけている。ただ自分達はそれを運命だと受け入れられる。否、むしろ仕方のない事だったと割り切れるかもしれない。何故ならば、"犠牲"ではないから。到達したのはこの世界に唯一あるもう一つの門だ。さほど大きくは無く、扉は自らの意志で死神らに道を開けた。一歩踏み込めば、吹き込んだのは世界の息吹だ。風の音が耳元で鳴り響き、特に死神にはまるで帰りを待っていたかのように多量の風が舞う。同時に丁度朝日だろう日差しに目を細め、辺りに広がった美しい天空の世界を見下ろした。



「―――零、君は"犠牲"がないと成り立たないこの世界を、美しいと思う?」



今日は幾分か風が強い日なのか、見下ろせば雲の流れが早い事が分かる。吹き抜ける風の声を聞いているのか、死神は一度その瞳を閉ざし―――長い沈黙が流れた。しかし思っていた以上に、死神の返答は早かった。


「…分かりません」


そして答えは、非常に曖昧だった。その返答にネクは顔を上げ、死神を見上げた。すると彼女は酷く複雑そうな、思い悩むような表情をしていた。きっと誰が考えても、その答えは見つからないからだろう。


「…しかし、この世界では"犠牲"なしに"幸福"は得られません。私達は"不幸"を知らなければ、"幸福"を知れません」


それは、人の心にも良く似ている。人は何かを知れば、何かを知る。光を知れば、闇を知る。喜びを知れば、悲しみを知る。そうする事で世界は、人は形成されていく。学び、知っていく。それは人だけではない、この世界そのものもだ。


「けれど、"不幸"以上の"幸福"を見つけたからこそ、母さんはこの世界を護ろうと今一度戻ってくれました」


すると零はネクを見下ろし、死神である彼女の漆黒の瞳は太陽の日差しを強く反射した。


「母さんが………いえ、この世界の誰かが"幸せ"を見つけられた世界であれば、私はこの世界は美しいと思います」


誰かが誰かを愛する事。誰かが"幸せ"になる事。それはきっと、誰かの"幸せ"に成ると思うから。大切な誰かと共に在りたい、大切な誰かを護りたい。だからこそ、人は人になる。


「ネク、私は母さんやネクが居るこの世界が好きです。…いえ、母さんやネクが大好きです。だから、私はこの世界を護ります」


"犠牲"だろうがなんだろうが、手段は問わない。だからこそ、彼女は死神になった。確かな彼女の言葉と意志に、少年もまた静かに青い光を鉄格子の奥に隠した後、改めて吹き抜ける風に目を細めながら世界を見上げた。



「………うん」



いつだって誰かが護りたいと思うのは、世界などではないのだから。









―言い訳―

プチ企画にてリクエストを頂きました零とネクの小話でした。
内容は特に指定されておりませんでしたので、時系列的にはA marine protectorの後と言う形で書かせて頂きました。
世界中の人、皆が幸せになったらいいな。そんな事を誰もが一度は聞いた事はあるかと思います。

ただやっぱり、ないですよね、っていう話です。嬉しい事というのは悲しい事を知らないと分かりません。
知らなければ、分からないんですから。失ってから気付く、なんて言葉も一度は聞いた事あるかと思いますが、それと同じだと私は考えています。
幸せな事が幸せな事だと知らなくては、分かりません。幸せがなければ不幸は知れません。不幸がなければ幸せは知れません。

人は誰もが必ず誰かを犠牲にして幸せになっていますが、同時に必ず自分を犠牲にして誰かを幸せにしていると思います。
多分それが人であり、そうする事で人は人になっている私は考えます。

と、なんだか訳分からないし固い文章になってしまいましたが、以上です。
リクエストして下さった、通りすがりの死神様のみお持ち帰り可能です。よろしければ受け取ってやってくださいませ。
では、リクエストありがとうございました!